「与える」は循環し、「感謝」は自発的にするもの

 

与えることのできる人が与える

これは私のいま持っている考えです。

与える余裕のない人は受け取るだけでいいのです。受け取り続ける時期もあるだろうと思います。無理して与える必要はありませんし、きっとそんなことは望まれていません。物質的にも精神的にも余裕ができたときや、自分も与えたいと思ったときに与えればいいと思います。

与えることのできる人が偉いというわけでもありません。ただそのとき余裕があるか、ないかだけの違いです。

 

 

見返りは必要ない

私が他人を思って何かをしたり、何かをプレゼントしたりするときに見返りは求めていません。

あえて言うならその人の喜びがほしいのですが、それもプレゼントした瞬間だけで、欲を言えば5分くらいだけでもいいのです。ずっと喜んでいてほしいとか、ずっとそのプレゼントを持っていてほしいとか、そんなことは思いません。渡したものがその人の重荷になるくらいなら、むしろさっさと捨ててほしいです。

あとはその人に何かをしたい、という自己満足だけです。

 

何かをもらったときに「お返しをしなきゃ」と自分が思うのもイヤです。

私はけっこう損得を考えるタイプです。自分にとって必要のないものをもらって、その対価として私にとって必要なもの(何かをするにはお金や時間が必要ですよね)を渡すのは、相手からすればプラマイゼロだったとしても、私にとってはマイナスでしかありません。

「お返しをしなきゃ」という気持ちはいまだに持ってしまうことがあって、それで消耗するのはエネルギーの無駄遣いだと思うので、早く捨ててしまいたいです。

 

「自分が"悪いな~"と思いながら 他人に何かをするって…

"悪いな~"を与えていることに なると思いませんか?

表面には見えなくても」

(漫画『日日べんとう』8巻より引用)

 

「お返しをしなきゃ」ではなく、自分がしたいときに、あげたいときにだけあげたい。そしてあげたらあげたでそこでそれはおしまい。貸しでも借りでもありません。

そういう考えを持っているので、「あのとき○○したよね」という考えとは相容れることができません。たとえ私がほしいものをくれたのだとしても。

 

 

感謝は自発的にするもの

「感謝しましょう」「感謝しなければ」と言いますが、私は感謝は自発的にするものだと思っています。誰かに言われてとか、やろうと思ってできるものではありません。*1

ですから何かを与えることの見返りに感謝を求めても、思ったようには手に入らないと思います。

 

 

「与える」は循環する

話は戻りますが、私は自己満足と、相手のちょっとした喜びのために与え続けます。

そしてその与えたものは、私にではなく、別のところへ回っていったらいいなと思います。相手が私にお返しすれば「私と相手」だけの関係で終わってしまいますが、別のところへ行ったのならそれは「与える」が循環していることになります。

「もらったからお返しをしなきゃ」ではなく、「もらったのが嬉しかったから、自分も誰かに与えてみようかな」のほうが私は素敵だと思います。

 

 

日日べんとう 8 (オフィスユーコミックス)

日日べんとう 8 (オフィスユーコミックス)

 

*1:「何事にも感謝しよう」と意識しているうちに、以前より自然と感謝できる事柄が増えることはあるかもしれません。