麒麟浪漫

ゲームとインターネットが大好き。

麒麟浪漫

読んだ本『マンガ はじめての心理学』『先生と親のためのLGBTガイド』など5冊

 

『筋トレが最高のソリューションである』

 答えの出ない問題が筋トレ界にある。「筋トレバカはSなのかMなのか」という問題だ。自分で自分を死ぬほど追い込む事に快感を覚えるドSな一面をもつ一方、その苦しみを心底楽しむドMな一面もある。筋トレは一人SMだから気持ち良いのです(違う)。

「筋トレは一人SM」とは言い得て妙です。

私は自分のことはMだと思っているのですが、たまに友人から「Sだね」と言われる理由がやっと分かったような気がします。

 

 

『「なるほど!」とわかる マンガ はじめての心理学』

 

なぜ占いは人気があるのか

「自己認知欲求」を満たしてくれるため。これは、自分のことをもっと知りたいという欲求で、誰もが持っているものです。
なかでも、すでに自分が知っている情報を改めて思い知ることを「自己確認」、今まで自分が知らなかった情報を初めて知ることを「自己拡大」と言います。このうち、より大きな満足感を得ることができるのは、自分では気づいていなかった長所など、自己拡大的なよい情報をもらったときだと言われています。

自己確認と自己拡大、私も大好きです。エゴグラム診断などのテストが好きなのもこういう理由だったのですねー。

ただし生年月日をもとにした占いやおみくじなどの根拠のないように思える占いはあまり信じていません。

 

人はなぜ怒るのか

なぜ、怒りが湧いてくるのかというと、自分の期待どおりにならないから。相手が待ち合わせに遅れてきて腹が立つのも、「自分は大事にされているはず」「だから約束は守ってくれるはず」「もうすぐ会えるはず」という期待や思いがあればこそ。
それなのに相手がなかなか現れないと、「私は大切にされていないのでは?」「会えなくてさみしい」「いっしょにいる時間が減ってしまう」「もしかして何かあったのでは?」など、不安やさみしさ、落胆、驚きなどの感情がわいてきます。
しかし、こうした感情は不快なものであるため、それらから逃れるために「怒り」に変えてしまいます。怒りの度合いは、不快な感情の強さ、つまり期待の大きさに比例します。

怒りが二次的な感情であることは知っていましたが、怒りとその一次感情の間に「期待」があるということ、そして一次感情をなぜ怒りという感情に変えてしまうかという理由はなるほど納得でした。

何事にも期待をしすぎないようにし、相手には怒りではなくそこに隠れた一次感情を伝えるようにすれば、怒り自体や、怒りが原因となった揉め事とは縁が遠くなるでしょう。

 

 

写真やカメラを嫌がる

カメラを向けられると「他人の目」を意識します。それと同時に、「他人の目を通した自分」も強く意識させられます。(中略)

私たちは、自分自身を常に意識しているわけではありません。意識するのは、カメラを向けられたときや、大勢の前に立ったとき、まわりの注意が自分に向いていると感じたときなどです。このとき、「他人からこう見られたい」という理想が高い人は、現実の「自分」を強く意識させられる状況に耐えられず、その場を逃れたくなります。
つまり、カメラや写真を嫌がる人は、理想と現実のギャップを大きく感じている人。自分のことを誰かに見られることや、客観的に見つめることを避けるタイプだと言えます。

なるほどー。

確かに私は自分に対しての理想が高く、現実とのギャップを大きく感じています。

 

これに加えて私の場合は、写真などの根拠のある形で他人の記憶に残りたくない、他人に自分の情報を所有されたくない、過去の私ではなく今の私と向き合ってほしい、という理由もあります。

「今の私だけを見て。他の情報には惑わされないで」みたいな感じでしょうか。文章にすると、悪い意味でかなり都合のいい考え方ですね。

なにかを積み重ねていくというより、リセット願望があり、常に変わっていきたいと思う私としては「今の私」以外の情報の存在は邪魔でしかないのでしょう。

 

自分を悪く言われると安心する

自己評価の高い人は自分をよく評価する人を好み、自己評価の低い人は自分を悪く評価する人を好む傾向もあります。これは「認知的斉合性理論」と呼ばれる理論。つまり、自己評価が低い人は、ほめ言葉を素直に喜べなかったり、自分を悪く言う人に対して安心感を覚えたりするということ。これでは「自分はダメだ」という気持ちがどんどん強まる可能性もあります。
このスパイラルから抜け出すには、ほめ言葉を素直に喜ぶなど、ほんのすこしずつでも、物事をプラスに受け止める努力をすることが大切です。

まさにこれです。よく「もっと自分に自信を持って」と言われます…

(限度はありますが)自分を悪く言われると安心してしまいます。安心するからといってこのままでは、自分に自信を持つためにはよくないようですね。

 

また、自己評価の低い人は人間関係でも「相手が自分をずっと好きでいてくれる自信がなく、嫉妬しやすい」そうです。

 

 

『先生と親のためのLGBTガイド』

2016年6月出版ということで最新の情報も載っていておすすめです。

タイトルの通り、先生と親の皆さんに読んでいただきたいのはもちろん、当事者が読んでも「そうそう、そうなんだよ」と、これまで一人で抱えていたものが分かってもらえたようで気持ちが軽くなるのでおすすめです。授業中にしかトイレに行けないとか、更衣室で着替えられないとか、そんな悩みを私も持っていました。

 

「同性愛者は、素敵な異性にまだ出会っていないだけだ」という説が本当ならば、「異性愛者は、素敵な同性にまだ出会っていないだけだ」という説も成り立ちそうです。

ほんとこれですよ。

素敵な異性に出会えば変わる、だなんてよく言えたものですよね。一理ありますが、人間は異性愛が自然である、というのを前提としていることにモヤモヤします。

 

自分が何者かわからない

たとえば、本当なら同性愛者である子どもが「同性が好きかもしれない」と感じたとき、性同一性障害に関するニュースを見て、自分は性同一性障害なのかもしれないと思い込んでしまうケースがあります。

(中略)
「性の3つの要素」についてすべて説明したうえで、性には多様なあり方があることを伝え、子どもが誤った性のイメージに縛られて思い悩んでしまうことがないようにします。

今では私はおそらくXジェンダー*1なのだろう、と思うことができています。Xジェンダーよりクエスチョナー*2のほうが近いでしょう。つまり性自認と性的指向がいまだに迷子でウロウロしているのです。

 

しかし、初めて性別違和を抱いたときにネットで調べた情報には「同性愛」という言葉しか見つけられませんでした。そして自分は同性愛者なのだと思い込んでしまったのです。自分に当てはまる言葉が見つかった!と感じてしまったそれ以降は「同性愛」についてしか調べることをしませんでした。この状態が5年以上続いてしまったことは、偽りの自分を演じた「失われた時間」であったように感じます。

もっと早くに「性の3つの要素」について知りたかったです。これら3つの要素がそれぞれ別物だというのは、一人では気づきにくいことです。

 

1、生物学的性(セックス、からだの性)

生物学的にもっている体の特徴が男性なのか、女性なのかということです。

 

2、性自認(ジェンダー・アイデンティティ、こころの性)

自分が女性だと感じるのか、男性だと感じるのか、など、どのような性別に帰属意識(アイデンティティ)をもっているかという自己認識のことです。

 

3、性的指向

恋愛感情や性的な関心が、どの性別に向いているかということです。

(※一部、文章を省略しています)

 

LGBTであることで苦しむのは、自分がLGBTだからではなく、性の多様性が尊重されないことで強烈な苦痛と自己否定感を感じるからです。苦しみの原因は「自分がLGBTであること」ではないのです。

そして悩んでいるのはLGBTの子どもたちだけではありません。この「性の3つの要素」に「性表現*3」も加えて、みんな一人一人、人の数だけ性の形があるのです。

本書をすべての先生と親の皆さんが読み、すべての学校で「性の3つの要素」を授業で教えることができれば、性の多様性を尊重するのは当たり前という社会により近づき、苦しむ子どもたちが減るのではないでしょうか。

 

 

▼ちなみに私はこちらの本を読んで「性の3つの要素」について初めて理解しました。

すべての人に読んでもらいたい一冊です。

本の内容では特に、性自認や性的指向そのものにもグラデーションがあるというのが目からウロコでした。

 

 

 

『最小限主義。』

ミニマリストである沼畑直樹さんのエッセイ。テーマは幸福です。

合理的な目的からというより、美しさを求めてミニマリズムを実践している印象を持ちました。

 

幸福論も、それぞれが見つけるもの。
私の場合は、ミニマル化すると「空」だった。

著者にとっての幸福は「空」。特に空からの光や、夕陽などに幸せを感じるそうです。

思い返してみると私は屋外にいるときに幸福を感じることが多いです。それも街中より、自然を感じられる場所のほうが好き。

私は幸福は自然の中にある、と思っています。そして人生の最大のコンテンツは人。人との関係性が一番面白い娯楽です。モノは最低限でいいのです。 

 

ミニマリストは試すようにモノを捨て続ける。

悲しい別れのようだが、捨ててみると、カタルシスが訪れる。「捨てられた」という達成感のようなもの。
今まで、こだわってきたものは何だったのか。
捨てられるじゃないか。

自分の殻をぶち破るように、モノ捨てには快感がある。
そして、「自分は何者でもなかった」と、清々しい気持ちになれるのだ。

私は既に捨てられるものはあまり持っていない状態です。ですから捨てられないと思っていたものを捨てることができたときには、強烈に快感を感じます。

その快感は「モノを捨てた」からではなく、「こだわりを捨てることができた」からだと思っています。絶対にそのモノを捨てられないと思い込んでしまっていたほどのこだわり、それを捨てるのは、自分の一部を捨てるのと同じような感じがするのです。

 

人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う。
財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。
過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きができなくなる。
人生に挑み、本当に生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれかわって運命をひらくのだ。
それには心身とも無一物、無条件でなければならない。捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる。

(『自分の中に毒を持て』岡本太郎 著より引用)

モノという形になっていないものの中にも、まだまだ手付かずのこだわりを私はたくさん持っています。こだわりを捨てるたびに自分の見えている世界が広がるような気分になります。どんどん捨てていきたいですね。

 

 

『空想科学読本 (17)  (いちばん強いのは誰!?)編』

アニメや漫画、ゲーム作品などを空想科学する空想科学読本シリーズを読むのは本書が初めてです。

思わず笑ってしまうところがいくつかありました。いろいろな作品が登場するので、元ネタ(原作)を知っているほど楽しいシリーズです。

キャラクターの能力や強さを設定するときに、とにかく強さを強調しようと思うと安易に大きい数字を設定(キック力○トンとかマイナス○℃の冷凍ビームを出せるとか)してしまったり、とんでもない演出(地面に大きなクレーターができるなど)をしがちです。そうするとよく考えたときに現実ではありえない状態になってしまう場合もあるんですね。例えば○トンの力で蹴った瞬間に相手だけでなくいろいろはじけとんでしまうとか、マイナス○℃は存在しないとか。気をつけよう。

 

プリキュアのミルキィローズが最強だということが分かりました。

宇宙空間に単身とんでいって戦うプリキュアもいますからね。プリキュアは強い。

 

 

*1:望む性別は男女いずれでもないが、少なくとも元の性別を拒否し、それを乗り越えようとする人 ※本書より引用

*2:自らのジェンダー/セクシュアリティについて、明確なアイデンティティをもっていない(あるいは、より積極的にもたない)人。※本書より引用

*3:見た目、服装、振る舞い、言葉づかいなどに、いわゆる「男性っぽさ」「女性っぽさ」あるいは他の要素をどのように取り入れているか ※『ゲイカップルに萌えたら迷惑ですか?』牧村朝子著 より引用